100万本もあるんだ。片目だけでね。
...でも、この100万本っていう数をもう一度きちんと考えてみて欲しい。
...視神経は100万本もあると言ったけれども、デジカメに置き換えてみると、ちょっと少ないような気がしない?
...100万本というのは、おそらくきれいに写真みたいに写し取るにはあまりに少なすぎる。にもかからわず、いま僕らが見ている景色も人の姿めま文字もザラザラじゃないでしょ。
...そういうふうに見えるということは、何かそれを補うような回路、そういう機能がきっと脳には備わっているはずだという話になってくるわけ。
私たちは、意外にオンボロな知覚器官を使って生活していて、オンボロゆえに知覚出来ない細かい部分は、脳が経験と想像によって補っています。
同じことは、知覚された情報の「時間」にもいえます。脳内の情報伝達手段は電気信号なので、連続した知覚は宿命的に不可能。空間的にも時間的にもとぎれとぎれの情報を、脳はなめらかになるように「だいたいこんな感じ」と補っています。
重要なのは「補っている」という自覚がないこと。
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