11.20.2011
11.19.2011
11.18.2011
11.12.2011
11.09.2011
書の教え_58
「知覚することでさえない。ただそれを可能にするものだ」というマハラジのコメントが続きます。
いずれにしても、「知覚」が行われる瞬間に、何もない空白に主体と客体という二元性が生じ、「行為をしている自分」という最初のエゴイズムが産まれます。
最初の「知覚」を行う前の状態において、我々は無知なのではなく、二元性やエゴによってまったく屈折させられない全知です。
ー"I am that" ニサルガダッタ・マハラジとの対話
11.08 白タク
ネパール帽のおじさんが運転するオフロード四駆は、15kmを1.5時間で走ります(バスだと2時間)。
村なので、すれ違うクルマも人もおじさんの友達ばかり。
認定タクシー:2,000ルピー
白タク:1,500ルピー
11.08 ghost writer
11.07.2011
書の教え_57
表現とは、表現者と鑑賞者を必要とする行為。まったく他者に働きかけない、エゴを超えた欲望(方向づけられたエネルギー)があるとすれば、それは苦悩の芽を含まない完全な存在です。
ー不滅の意識 ラマナ・マハルシとの会話
ghost writer
11.06.2011
書の教え_56
好きなときにボタンを押すんだから、これは明らかに自由意識でしょ?だから、普通に考えると「ボタンを押そう」という意識があらわれて、それから手が動いて「ボタンを押す」という行動になると予想できるよね。研究者のだれもが実際にそう思ったの。ところが、答えは違ったんだ。「好きなときにボタンを押す」という、もっとも単純な行動が、なんと自由意思じゃなかった。
脳波をモニターしながら脳の活動を調べると、答えは先に「運動前野」という運動をプログラムするところが動き始めて、それからなんと1秒ほども経ってから「動かそう」という意識があらわれたんだ。
「動かそうと決めた」という意識が、無意識が「手を動かす」と決定したあとに形成されたということ。
「行動を決めているワタシの意識」は錯覚であり、決定済みのリアクションと、副産物である自由意思の幻想があるだけ、ということです。
リアクションが構造的に意識による支配を受けないとすれば、我々が達成すべき、行為とエゴイズムの乖離や、リアクションの根絶とは、それらの形成プロセスの正解な把握ということになります。
ー「進化し過ぎた脳」池谷裕二
ghost writer
11.05.2011
書の教え_55
ヒトの脳がアウトプットの選択肢を持ち、経験によって学習するためには、コンピュータのプログラムのような一方通行の回路ではなく、信号を枝分かれさせて、一部を上流に戻す回路(フィードバック回路)が必要です。
ひとつの神経細胞は1万の神経細胞に信号を送ります。これを3回続けると1兆個の神経細胞が信号を受け取る計算になります。でも、ヒトの脳には140億しか神経細胞がありません。つまり3回目には自分が発信した信号がほぼ自分に戻ってくるということ。
ところで、脳が例えば言葉を聞いてから理解するまで普通0.3秒かかります。神経細胞が次の神経細胞に信号を渡すのには0.001秒かかる。脳はわずか数百ステップでこんなにも複雑な思考をやってしまっていることになります。
わずか数百ステップの情報処理作業を調べ上げることで「意識」の全貌がわかるかもしれないという話です。
次回、クライマックス。
ー「進化し過ぎた脳」池谷裕二
ghost writer
師の教え_29
「瞑想をするにしても、心の状態にどのような要素と成り立ちがあって、それが実践によってどのように変化するか、ということをきちんと見つめなければ、ただ目を閉じてぼんやりする、ということになってしまいます。」
偉大な宗教家は、相手のパラダイムに合わせたレトリックで、数千年前より変わらない真理を説きます。
出典(茂木健一郎ブログ):http://app.m-cocolog.jp/t/typecast?__mode=individual&blog_id=57893&id=70425300&user_id=55852
ーダライ・ラマ法王
11.05 ghost writer