11.06.2011

書の教え_56

意識を測定するためには、人を椅子に座らせて、ボタンを与えて、「好きなときにボタンを押してください」という実験が出来るね。つまり、ボタンを押そうとしているときの脳の活動を測ればいい。
好きなときにボタンを押すんだから、これは明らかに自由意識でしょ?だから、普通に考えると「ボタンを押そう」という意識があらわれて、それから手が動いて「ボタンを押す」という行動になると予想できるよね。研究者のだれもが実際にそう思ったの。ところが、答えは違ったんだ。「好きなときにボタンを押す」という、もっとも単純な行動が、なんと自由意思じゃなかった。
脳波をモニターしながら脳の活動を調べると、答えは先に「運動前野」という運動をプログラムするところが動き始めて、それからなんと1秒ほども経ってから「動かそう」という意識があらわれたんだ。


「動かそうと決めた」という意識が、無意識が「手を動かす」と決定したあとに形成されたということ。


「行動を決めているワタシの意識」は錯覚であり、決定済みのリアクションと、副産物である自由意思の幻想があるだけ、ということです。


リアクションが構造的に意識による支配を受けないとすれば、我々が達成すべき、行為とエゴイズムの乖離や、リアクションの根絶とは、それらの形成プロセスの正解な把握ということになります。


ー「進化し過ぎた脳」池谷裕二


ghost writer