「知覚することでさえない。ただそれを可能にするものだ」というマハラジのコメントが続きます。 いずれにしても、「知覚」が行われる瞬間に、何もない空白に主体と客体という二元性が生じ、「行為をしている自分」という最初のエゴイズムが産まれます。
最初の「知覚」を行う前の状態において、我々は無知なのではなく、二元性やエゴによってまったく屈折させられない全知です。
ー"I am that" ニサルガダッタ・マハラジとの対話