隣の部屋に数泊したイスラエルの女性が式典に誘ってくれましたが、実現しなかった。
あずまやスタイルで快適そうな建物は、数年前までネパール料理屋だったとのこと。
10.15 ghost writer
隣の部屋に数泊したイスラエルの女性が式典に誘ってくれましたが、実現しなかった。
あずまやスタイルで快適そうな建物は、数年前までネパール料理屋だったとのこと。
10.15 ghost writer
時間は無限にあるし、解決しない苦痛や苦悩はないので。
「苦痛」は、今という瞬間の痛みと、次の瞬間の痛みの想像とから出来ていて、過去に同じ痛みに苦しんだ記憶によって増幅されます。
想像と記憶の部分は、心が完成することで消えます。今という瞬間の痛みは、時間が経てば消えます。
「苦悩」は、想像と記憶だけで出来ているので、さらに簡単。
想像と記憶をコントロールするには、まず自分は何が恐いのか、知る必要があります。なぜなら、私たちの行動と思考は後天的な経験の痕跡に支配されているからです(ヨガでは、先天的な痕跡、カルマの存在を認めます)。
ウシやウマが自分より小さいニンゲンを恐がり、サルが自分より強いニンゲンを恐れないのを毎日見ていると、自分がなにかを恐がり、想像と記憶によって苦悩する気持ちにも必然性がないことが分かります。
完成された僧侶のように、自分を知り抜き、想像と記憶をコントロールして、何ものも攻撃する必要がなくなって、穏やかに満たされて生きましょう。
10.15 ghost writer
靴(笑)。
B氏にもらった軽量登山靴。本当に一度も履いていない。たまに晴れた日に虫干しするだけ。
東京のアパートを出てから、機内も雨期のインドもクロックスで完全カバー。
10.15 ghost writer
カバンにゆで卵をいれて運ぶひとはいますが、生卵をいれて運ぶひとはいません。
なぜでしょう?
a. 生卵のほうが割れやすいから。
b. 割れやすさは同じだが、割れてしまったときの取り返しのつかなさがケタ違いだから。
正解は、もちろんb。
2問めです。あなたが毎日歩いて通う道には川があり、近道には高さ100メートルの橋、少し遠回りの道には高さ1メートルの橋がかかっています。どちらもとても頑丈で、幅は1メートル、長さは10メートルの同じサイズの橋ですが、欄干がありません。あなたが少し遠回りをしてでも高さ1メートルの橋を選ぶ理由はなんでしょう?
a. 高い橋のほうが落ちやすいから。
b. 橋から落ちる可能性は同じだが、落ちてしまったときの取り返しのつかなさがケタ違いだから。
これも正解はb。
行動基準が「不安を感じるかどうか」ではなく「理性がどう判断するか」であると、より遠くまで行けます。
ghost writer
ネギ入りパランタは、あと生地に出汁を入れればチヂミ。ふわっと美味。
そして朝日新聞(泣)。
朝日新聞がどれほどツボか語り始めるとキリがないので省略。
10.14 ghost writer
"XXを手に入れたい"
"XXになりたい"
"XXに勝ちたい"
"XXと思われたい"
"欲求のないひとになりたい"
もNG...というジレンマから自由であるために、ヨギは "自分" と "他者" という境界線を否定します。
ghost writer
客観的で正確な観察のために、まずアドレナリンの分泌をコントロールします。不必要なアドレナリンが残っていると、自分の内面が濁って見えないばかりか、逆に心が澄み切っているように感じます。そんなときに..
So what?
は、とても簡単に使えて、しかも正確なチェッカーです。日本語では "だからなに?"。
"あの人のやり方は許せない"
"So what?"
"自分がこんな目に遭うのはフェアじゃない"
"So what?"
"おれ(あたし)、間違ってないよね?"
"So what?"
自分のなかに既にある答えを見ないですむように、自分で自分にカバーをしているときの、カバーチェックに有効。
ghost writer
いま思い出した。出家して名前が変わるかもしれないし名刺はいいや、と考えて作らなかったのでした。
10.12 ghost writer
マハラジ:それが精神的な自尊心を打ち破るのを助けるからだ。私たちはいかに弱く、無力であるかを悟らなければならない。自分自身はこう在り、知り、行為すると想像し、惑わされているかぎりは、私たちは悲しくも苦境にいるのだ。ただ、完全な自己否定のなかにのみ、私たちの真我を発見するチャンスがある。
「それ」は、「人生における矛盾」。翻訳の翻訳だからか論理がてれこですが、「人生の出来事が自尊心を打ち破るのを助けるから、人生は矛盾ばかりである」という意味。
そもそも自尊心、もっと根源的には自己が存在して欲しい、という欲求が、否定されるべきものです。
ー "I am that" ニサルガダッタ・マハラジとの対話
日なたで大変なのに、少額でも気持ちよく売ってくれたおばさん。
10.11 ghost writer
インドでは、なにもかもが荒々しくむき出しで、外国からの旅行者は一瞬にして疲れ切ってしまい、とげとげのエッジがとれて風景が優しくなる夜明けや夕暮れには、理由も分からないまま涙が出たりします。
「なにもかも」は間違い。自然はそもそもむき出しなので、僕たちがそう感じるのは、人間がむき出しだから。僕たちが疲弊するのは、自分の中身を洗いざらい並べて見せられているからです。
10.11 ghost writer
西洋思想におけるタブーである "他者を救済しない" 態度について、後世の聖典解説書や指導者たちは、アレルギー反応を避けるべく、慎重にこの部分に触れます。
"救済するべきか、しないべきか" という疑問は、世の中のほとんどの疑問やジレンマが上位の概念によって吸収されるように、救済されるべき他者の存在が絶対的主体に吸収されることによって、あとかたもなく消滅します。
ー "I am that" ニサルガダッタ・マハラジとの対話