10.23.2011

書の教え_43

質問者:夢は考えることによって起こるのでしょうか?
マハラジ:すべては観念のたわむれだ。観念化から自由になった状態(nirvikalpa samadhi) のなかでは、何も知覚されはしない。その根本となる観念が「私は在る」だ。それが純粋意識の状態を打ち破る。すると無数の感覚、知覚、感情、観念がその後に続いていく。それらの全体性が神であり、その世界なのだ。「私は在る」は鑑賞者として残る。しかし、すべては神の意思で起こるのだ。
質問者:私の意思で、ではないのでしょうか?
マハラジ:またしても、あなたはあなた自身を神と鑑賞者に分割した。それらはひとつなのだ。


我々はモノを"考える"こと、観念化することによって、自分を守っています。世界を観念化し、観念化した世界でスキマなく自分を覆うことで、ようやく自我が保たれます。


観念化から自由になるということは、覆いがなくなって自分がむきだしになるということ。自我と被自我の境界線、認識と被認識の二重性、知っていることと知らないことの区別さえ無に帰するということです。


これはとてもつらい作業に思えますが、自由を獲得した僧侶ほど、満ち足りて私たちを安心させる存在はありません。私はこの作業に価値を認め、年数をかけて実現しようと思ます。


ーニサルガダッタナンダ "I am that"


ghost writer