8.31.2011

書の教え_20

「..これもまた、あなたがどう見るかにかかってくる。言語上のレベルでは、すべてが相対的だ。絶対性は体験されるべきものであって、討論すべきことではない。」


人間は、世界をフレーミングして、それぞれの部分に名前と意味を与えました。


だから、物質も概念も含めて、すべての意味は、その存在自体が恣意的なものであり、認識する者とされる物という二重性によって成立する相対的なものです。


ヨガが相対的な意味によって作り上げられた世界を否定する理由は、認識のフレーム自体がエゴの産物であり、その無根拠性が人間に苦悩を与えざるを得ない構造になっているからです。


ヨガは、人間がすべての無根拠な認識を否定したあとに残る絶対的存在を肯定します。認識世界の否定は知性を使って進められる作業ですが、最後の仕上げに形而上学的ジャンプが必要、と説きます。


- "I am that" ニサルガダッタ・マハラジとの対話


ghost writer