書には「不変の幸福は物質にも環境にも属さない。しかし本質としての幸福は確かに存在する。これらの命題が両方正しいなら、幸福は認識主体に属する」とか書いてありますが、「私が探し求めているものは、私自身である」のほうが分かりやすい。
「幸福」を「不幸」の対意語として考えるのはカテゴリー・エラー、「不幸」は続く(今日ケーキがなければ、明日もない)けど、「幸福」は続かない(ケーキは食べたらなくなる)、みたいなことを考えていましたが、間違い。
幸福とか不幸とか、あらゆる感情もこころの状態も、物質も概念も(インド思想では、少なくとも認識対象としての記号である限り)、認識主体である私たちの中にあります。
I am what.. はすべてのヴェーダのエッセンスであり、ヨギが通過するべきポイントです。
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