6.19.2011

師の教え_1

セルフイメージとか、アイデンティティとか、「自我の崩壊」というときの「自我」とか、「自分はこんな感じ(に少なくともイケている、とみんなが思っている、と自分が思っている)」という認識は私たちに不可欠で、そのおかげで私たちは気分良く生きていることが出来ます。

この認識は欲求です。欲求である限り、満たす必要があります。これが満たされないと、食欲や睡眠欲や性欲が満たされても私たちは幸福になりません。

この欲求は、食欲やなんかと似てやっかいなところがあって、エスカレートしてキリがない空腹感を産んだり、空腹感をむりやり埋めようとしてオレガくんになったり、埋め方を間違えて壊れてしまったりします。

分かりやすく、自我=ふわっと球形の自分と考えます。自分だけでは球形を保てなくて、周囲を他の球にぴったり囲まれた風船のような存在です。
周囲の風船は、もちろん周囲の人達です。

風船は、バランスを取り合いながら、お互いを支え合って存在しています。
もし、自分を取り囲む隣人がいなくなってしまったら、自我はまっしぐらに崩壊します。

隣の風船がギザギザになると、自分もギザギザになります。隣がトゲトゲになると、負けずにもっとトゲトゲになったり、矛先を変えて違う風船に対してトゲトゲになったりすることもあります。

隣がふわっと優しくなると、こちらもふわっと優しくなります。

周りに関係なく、ツルっとまんまるでいられるためには、自分にまんまるでない部分があること、それが自我のヘコミであることを自覚する必要があります。

ギザギザやなんやかやを周りに押しつけないように、自分で自分の面倒を見て、少しずつカタチを治して、ついに360°ふわっと柔らかい球形になったヒトは、とても優しいヒトです。

隣がギザギザになっても、トゲトゲになっても、自分はツルっと丸いままでいられるヒトは本当の強さを持ったヒトです。

それが、がんばらなくても自然に出来るヒトに、何十年かかってもいいから私はなりたい。

..と思っていたら、今回のインドで会ってしまいました。完全な球形の自我を持つインド人。目の覚めるような僧侶です。

私はこの僧侶に毎日会っています。

何回続くか分かりませんが、「師の教え」シリーズはこの僧侶にまつわるお話をさせていただきたいと思っています。

6.18 ghost writer