10.25.2011

書の教え_46

"でも、もっとすごくシンプルに、脳科学的に画期的だったのは、「意志」の問題に踏み込んでいるからなんだ。ここで記録した神経の活動、つまりアームを動かそうという神経の働きは、それこそがすなわち「意識」だよね。意志でしょ?つまり神経の活動を記録して、意志というものを脳の外で再現した実験なんだ。"


猿の脳に電極をセットして、猿が動かそうと「思う」だけで、ロボットアームが動く装置を製作した実験(2003年)に触れた文章。


著者は、この実験の持つ意味を問いかけ、座談会の参加者から「義手」とか「ウソ発券機」とか「夢の記述」といった回答がありますが、彼が欲しいのはずっと深淵なテーマ。


実験が証明したのは、「意志」は電気信号であり、外部に書き出して再現することが可能だということ。「意志」は「意識」の一部、または表現、顕現なので、「意志」を書き出すということは「意識」を書き出すということです。


つまり、人類が合理的に説明出来ずにいた「意識」の問題を、(はからずも?)脳の生理的なファンクションとしてデジタルに解析し始めてしまったということ。


虹の尻尾を捕まえたのです。


「意識」を解析して、どうしても記号化できない部分が残るかどうかが重要。残っちゃった場合、我々の理性的思考が致命的なループ構造になっていることを認めるか、「意識」が脳のファンクションであるという前提を取り下げるしかなくなります。


ー「進化しすぎた脳」池谷裕二


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